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わろてんか ネタバレ,あらすじを最終回まで暴露!

わろてんか

 

 

このページは、NHKの朝の連続テレビ小説「わろてんか」のネタバレ,あらすじを最終回まで暴露しています。「わろてんか」のネタバレ,あらすじを知りたいというあなたにお伝えしています。

 

 

 

直近の朝ドラは、「ひよっこ」はとてもストーリーが良くて感動することもたくさんありますよね。視聴率はやや苦戦していますが、作品としての完成度はすごく高いと思います。

 

 

 

「わろてんか」は人気が出ることが多い大阪局が制作する朝ドラになります。しかも、そのモデルになっているのが吉本興業の創業者・吉本せいさんです。大阪で、吉本嫌いってひとはいてへんから人気が出ること必至やと思うねん。

 

 

 

時代背景は、明治から昭和初期になりまっせ。ここでは、わろてんかファンに喜んでいただけるようにわろてんかネタバレ・あらすじ感想をまとめたページを下からリンク貼って見えるようにしています。好きなところのリンクからみていってくださいね。

 

 

 

 

わろてんかのネタバレ・あらすじ

 

わろてんかは、明治の後期からはじまるストーリーやねん。それは、大阪が商都として繁栄していた時代。主人公の藤岡てん(新井美羽)は、京都の薬屋さんで生まれた長女やねんね。

 

 

 

祖母・ハツ(竹下景子)はとても厳しく、それと同じように番頭上がりの父・藤岡儀兵衛(遠藤憲一)もとても厳しい人やってんね。てんは、とにかくよく笑う女の子。母譲りのいつも笑顔やねん。

 

 

 

しかし、その笑い上戸が災いをして大きな商談の邪魔をしてしまってんね。それ依頼というもの、儀兵衛はてんには笑顔を見せないように躾をするひとに変わっていってんな。

 

 

 

特に、てんは人前で笑ったりすると大目玉を食らったんやんな。そのため、てんはそれまでの笑い上戸から一切笑わない仏頂面にいつしか変化してんな。

 

 

 

北村藤吉とてんの出会い

 

てん(葵わかな)の人生は、北村藤吉(松坂桃李)と出会い大きく変化していってんな。藤吉は、旅芸人で笑いは人を幸せにするとてんに話すねん。

 

 

 

てんは、それがすごく印象に残ったんやんな。その後、藤岡家の薬問屋は次第に商いがうまくいかなくなってくるねん。やがて、父は破産し自殺するのではないかと思われるほど落ち込んでんな。

 

 

 

そんな中で、てんがとった行動はなんとか儀兵衛を笑わせようとしてん。その甲斐あって儀兵衛は元気を取り戻していくんやんな。そのことで、てんは笑いの力を実感するんやんな。

 

 

 

てんは、その後に藤吉と恋に落ちたんね。藤吉は、大阪の米穀商の長男で跡取りを予定している人物ですが、笑いが好きだけあってとにかく芸事が好きで好きでという人物やねん。

 

 

 

そのため、仕事をまったくしようとしいひんねん。実はてんには、藤吉とは別に許嫁に伊能栞(高橋一生)がおってんな。伊能栞については、特に祖母のハツが気にいっててん。

 

 

 

しかし、てんは藤吉のことを好きになってしまったんやんね。当然、父や祖母は大反対すんねな。一生懸命働いていない藤吉よりも伊能栞と結婚してほしかったんやんな。しかし、てんは大恋愛の末に駆け落ち同然で藤吉と結婚をするねん。

 

 

 

北村家に嫁いだてんの奮闘

 

てんは、大阪の北村家に嫁いでんな。その後、姑の北村啄子(鈴木京香)に意地悪をされながらもてんは、米穀商の商いを少しずつ勉強していきはったんな。

 

 

 

しかし、藤吉はというと自分の家業を真剣にやらへんねな。長男だから仕方なく後を継いでいるだけで、本当は米穀商をしたいとはこれっぽっちも思ってへんかってんな。

 

 

 

そんな気持ちで仕事をしているさかい、お金の支払いなどの面倒な仕事は逃げ出してしまうねん。今日は支払いがあるという日は決まって朝一番に銀行に出かけると言いいなくなってしまいます。

 

 

 

番頭に探させると、その銀行には顔も出してへんなんてしょっちゅうやってんね。そんな商いの取り組み方やから、てんがいくら一生懸命やっても借金はかさむ一方になるねんな。

 

 

 

そのことを藤岡家から一緒についてきている女中のトキ(徳永えり)はとても心配してんねな。北村家は潰れてしまうのではないか。そう不安になっててん。

 

 

 

 

笑いを仕事にと藤吉の後押し

 

そして、藤吉は借金返済のためにイチかバチかの相場(信用取引)で失敗してしまうねん。当時は、日韓併合の時代で紡績株は上がると見込んでいたが、それが裏目にでたのです。

 

 

 

そのため、遂には店はつぶすしかない状況になってしまったんやんな。それは、藤吉が北村家を継いでわずか3年という短い期間でした。しかし、それでも藤吉は芸事をやめたくないと未練を残しとってんな。

 

 

 

てんは、お金もないのに芸事で芸人を連れまわして遊んでいる結果がこうだと怒ります。そして、悩んだてんは、藤吉にそんなに笑いが好きならそれをビジネスにしてみてはどうかと提案してん。

 

 

 

藤吉は、それをてんの皮肉だと思ってんな。せやけど、てんは本気やと強くいうねん。藤吉は、芸事界隈で顔も広いしその人脈をつかって一緒にやっていこうと言うてんに藤吉もワクワクするねんな。

 

 

 

そして、ひいきにしている芸人たちにどこか寄席が売り出されてないか手当たり次第聞いてまわるんやんな。しかし、2ヶ月間の間、藤吉は足を棒にして探してんねん。なかなかいい寄席がありません。

 

 

 

てんは、その藤吉の様子をみて立派な寄席を探しすぎだとアドバイスするねん。最初は、ぼろい寄席を買って成長させる形にしないと見つからへんと。

 

 

 

すると、ちょうどその頃にぼろい風呂屋にでもしようかというような寄席が売り出されててん。場所は、天満橋の近くの第二文藝館です。

 

 

 

しかし、藤吉は、これではとそのボロい寄席を見て難色をしめしたんね。せやけど、てんはここが勝負とばかりに購入に誘導してん。

 

 

 

てんは、二度と戻らないと誓っていた実家の両親に借金をお願いしてんね。それでも懐事情が苦しいので、値切って寄席(よせ)を買い取ります。そして、素人のてんと藤吉でよせの経営を行っていったんやんな。

 

 

 

てんと藤吉の寄席経営

 

てんと藤吉は、いきなり寄席経営で何をどうしたらいいのか勝手がわかれへんねな。看板を派手にしたり、畳をぞうきんでしっかりとふいたりといったところからスタートすんねな。

 

 

 

一方の藤吉は、裏方の段取りをしてもらいます。藤吉は、寄席経営でこれまでになく商いに力を注いで気合いが入っている様子に、てんも思わず涙ぐんでしまうねん。

 

 

 

客が入ってくると、てんが座布団を敷き席をとります。なかなか段取りがうまくいかへんねけど、工夫しながらやっていくねんな。それでも、入りは三割入るかどうかといったところです。

 

 

 

高座では、藤吉のなじみのある芸人たちが落語をしたり、物真似、女講談師などがステージで芸を披露しています。どうしても、芸人の都合がつかへんときは藤吉が剣舞をすることもありました。

 

 

 

素人のへたくそ芸でしたが、それでも場つなぎにはなりました。しかし、2人の寄席経営は3割程度の入りなので資金繰りが苦しくなっていきます。てんの実家には、頼られへん。

 

 

 

藤吉は、一時的なことなので高利貸しに借りればいいというのですがそれでは、長くやっていけないと感じたてんは銭湯に有名な小金貸がいたのでそこにはりついてお金を貸してもらいます。

 

 

 

少ない金額なのですが、それがバカにならず風呂で背中を流して会話をしながら貸してもらうのでした。お金については、以前の商いの時もそうでしたが藤吉は、ノータッチだったのです。

 

 

 

 

大阪寄席演芸会の流派

 

当時、大阪の寄席を二分していたのは桂派と三遊派になります。どちらも落語家の派閥になります。しかし、藤吉とてんが提携したのはその二つの流派ではなく反対派の岡田政太郎の派閥です。

 

 

 

寄席はまだ、端席なので通常10銭いただいている寄席が多い中で、てんは半額の5銭での価格設定でスタートしました。それは、端席というも理由もありますが、まずは広く知ってもらおうと考えたんやんな。

 

 

 

そして当時、寄席の主流だった落語は極力減らして万歳と曲芸を中心に芸を組み立ていてんな。それが原因なのか、なかなか水揚げ量が増えてきません。

 

 

 

そんなころに、てんは一流のよせでは飲食代でかなり多くのお金を稼いでいると耳にしました。そこで、暑い8月という時期を利用して飲食の併設を実行にうつすねん。

 

 

 

売店戦略

 

さっそく、お菓子屋に行き売れそうなものを手当たり次第買って売店で売り出していくんやんな。おかきやラムネ、冷やし飴など売れそうなものをなんでも並べて販売してん。

 

 

 

8月の暑い時期には、冷やし飴やラムネはよく売れんねな。しかし、氷を入れて冷やしていてもすぐに氷が溶けてしまうねん。今のように、クーラーボックスのようなものも当然あれへん。

 

 

 

なので、クレームがでることも頻繁にあってんな。そこで、てんは氷を並べてその上に冷やし飴を置けるようにする方法を編み出してん。それがきっかけで、さらに客足が増えていったんな。

 

 

 

そんな工夫の甲斐もあって、てんは目が回るような忙しさでしたが売店は大成功を納めるんやんな。そして、それは口コミになり寄席に来てへん客までが買っていくようになるねん。

 

 

 

そこから、藤吉とてんの寄席経営は軌道に乗り始めてんな。そして、女中のトキなども手伝いながらてんと藤吉の寄席運営がうまくまわっていくようになるねんね。

 

 

 

そして、第二文藝館を購入してから3年。松島にも寄席を買うねんな。こちらの寄席についても最初は、構成など大変な部分もありますが・・・そこの目途がつけばあとはスムーズにすすみます。

 

 

 

芸人を縛るてん

 

てんと藤吉の北村商店では、桂派と三遊派の反対派であった岡田政太郎の派閥に属した芸人が多数出演してくれはってん。しかし、席亭であるてんは逆に不安も感じとってたんやんな。

 

 

 

席亭と芸人の力関係は、弱い芸人にたいする分には強い。しかし、逆に強い名もある人気もある芸人にそっぽを向かれてしまっては運営が立ち行かなくなんねん。

 

 

 

だからこそ、てんは力のある芸人に対して専属契約を結ぼうと考えたんやんね。つまるところ、お金こそが席亭と芸人が唯一つながっているものだと判断したんやんな。

 

 

 

専属契約したものに対しては、寄席ごとの報酬ではなく月給制にして報酬も通常より上積みしてん。それは、もちろん落語家だけでなく漫談や色物と言われた踊りなど、なにか一つ秀でたものがある芸人と契約していってん。

 

 

 

それが、やがて業界内で大きな噂になってんな。中には、月給制でと自ら売り込んでくる落語家までも現れるようになってきてん。その反応にてんは、喜んでんな。

 

 

 

実は、その頃にてんが狙っていた大物芸人がいてん。それが、桂春団治やねん。人気を二分していた桂派のトップがこの桂春団治になるねんね。まさに大阪の落語会で人気・実力ともに誰もが認める重鎮やねん。

 

 

 

大阪の落語会を手中

 

てんは、桂春団治が新しく立ち上げた浪花派が資金繰りで苦労しているとを知り、なんとしても自分の持つ舞台にたたせかってんな。そう願っていたてんは、お金をたくさん持っている時の桂春団治だと交渉できへん。

 

 

 

いくら、てんがお金を積んだところで笑って終わりになってまう。せやから、お金に本当に困っているようになる状況まで待ってんね。桂春団治は、浪花派を掲げて1年後にはもう立ち行かなくなってんな。

 

 

 

桂春団治の人気は、落ちることなく上昇していってんけど、桂春団治に続く人物があらわれへんかったことが原因やねん。

 

 

 

また、地方に巡業に行った際にもどんちゃん騒ぎをしてお金を湯水のごとく使ってたのも一因になってんね。てんは、そうなることをいろんな噂を聞きながら待っててんな。

 

 

 

そして、てんの望みはついに実現してんねな。大きな借金を背負った桂春団治に、てんは借金を肩代わりした上で、これまででないぐらいの大きな月給で桂春団治と専属契約を結んだんやんな。

 

 

 

てんは、寄席を何件買収するよりも、落語会のドン・桂春団治を自らの手中に収めることに誇らしく思ってんな。それは、大阪の落語業界全体を手に入れたと思えたからやってん。

 

 

 

その後、てんと藤吉の北村笑店はどんどん快進撃をつづけ寄席をどんどん買って大きくなっていってんな。その転機となったのは間違いなく、この桂春団治が二人の傘下に入ったことが理由やねんな。

 

 

 

 

安来節と北村てん

 

てんが桂春団治という大物の落語家を口説き落としたのと同時に行ったのは、落語家頼みではない余興のスタイルやねんな。特にてんが目をつけたのが安来節。

 

 

 

安来節とは、出雲の民謡やねんな。それが神戸でも徐々にみられるようになったので、てんは本場の出雲からその安来節を歌い踊っていた芸子たちをスカウトして連れて帰ってんね。

 

 

 

その数、10人。地方の民謡を舞台で商いにするというのは、大阪の寄席ではこれまでの常識では考えられへんことやってんね。そのため、お客も逆に新鮮に感じるから流行ると見込んでん。

 

 

 

ただ、島根で10人の安来節を踊る子を買って帰るだけでは、てんは嫌だったので大きな演芸大会を開催して、景品や会場費も出すと主催してん。大会は見事に成功。

 

 

 

その中で、気に入った芸人に一人ひとりのお家にいき挨拶をしてまわってん。中にはもちろん、大反対するところもありますが、てんが気になった芸者は連れて帰ることができてんな。

 

 

 

しかし、安来節の芸者にいきなり寄席で謡ってもらうことをてんはしいひんかってんね。芸人がたくさん住んでいるところに、10人全員を住まわせて大阪での生活に慣れることを最初の目的に据えたんやんな。

 

 

 

せやけど、出雲まで行って一軒一軒挨拶をして回ってようやく手に入れた芸者たちを舞台にたたせへんことを藤吉は疑問に感じたんやんね。それでも、てんは時期をしっかりと置くことに徹したんやんね。

 

 

 

そして、安来節の芸者たちが寄席の高台にたったのは大阪にやってきて1ヶ月たった後になるねんな。この作戦が的中すんねな。本場仕込みの安来節はまたたくまに人気芸におどりでたねん。

 

 

 

客は、客席でこれまでみてはるだけだったのがなんと一緒に踊ることで安来節に共感してんやんね。安来節が始まって3年たってもこの人気は衰えるどころかさらに上昇していってんやんな。

 

 

 

若手発掘が上手な藤吉

 

藤吉は、もともと芸事が好きだったので若手の芸人を発掘する仕事をメインにやっていってるんやんね。その甲斐があってしゃべくり漫才を特徴にしたキース(大野拓朗)やアサリ(前野朋哉)。

 

 

 

デコボコ漫才を売りにしたもの等頭角を現しはじめるねん。てんや藤吉の周りには、従来の落語などのはなし家だけでなく、次第に個性的なコメディアンが集まってくるようになってはったんな。

 

 

 

そうして、てんと藤吉の夫婦で「大阪を笑いの都」にするという目標を実現していくねんな。しかし、寄席経営が順調にいきだしてからの藤吉は女遊びに走ってんな。

 

 

 

元々、芸事が好きで始めた商売ですが・・・商売にすると寄席もビジネスになって藤吉は楽しくなくなってしまったのです。元来、遊びが好きな藤吉は松島で女を囲ってんね。

 

 

 

寄席運営も成功をおさめ、経済的に困ることがない。だから、女遊びをしててん。てんは、そのことを知りつつも寄席経営にさらに力を入れていったことでお互いのすれ違いが大きくなっていきます。

 

 

 

寄席については、その後もどんどん買収していき北村笑点が大阪全体を手中に収める目前までやってきてんやんね。しかし、そんな矢先に藤吉が脳溢血で亡くなってしまうねんな。

 

 

 

 

藤吉が残したもの

 

てんは二人で約束した「笑いの都」の完成までもう少しまでのところになっていたので、自らが「北村笑店」の社長になり300人以上の芸人を抱えて活動を開始するんやんな。

 

 

 

寄席も20館以上を経営してんねん。しかし、すごく羽振りのよかった藤吉はたくさんの人に借金をしてはってん。寄席の購入による借財ももちろん残っていてんな。

 

 

 

しかし、何よりも多かったのは芸人たちに羽振りよくおごっていた、飲食店の付けやねん。いったい何人相手におごっていたの?というような付けの飲み代も出てんな。

 

 

 

てんは、それらをきっちりと返済するためにもしっかりと働いていってんな。その甲斐あって、夢であった「笑いの都」もつくり大阪を中心とした関西で「北村商店」はもっとも大きなエンターテインメント会社になってん。

 

 

 

関東大震災で名人芸が?

 

大阪では向かうところ敵なし。そんな状況になっていた北村笑店ですが、東京はというと大きな主導権を握られないままやってんな。そんな大正12年、現在まで語り継がれている天災・関東大震災が起きてん。

 

 

 

死者や行方不明の人たちが14万人にも上った地震で、東京の寄席運営もいったん中止になるところが続出やってんな。もちろん、命を危険にさらした芸人も数知れずいはってん。

 

 

 

てんは、それから数日後にその状況を伝え聞き義援金をおくるだけでなく、米3俵や毛布50枚の大量の必需品となる物資をいち早くかき集めて、おくらはったねん。

 

 

 

実際に東京に行ったてんは、見渡す限り焼けている状況をみてえらいことやと感じたんやんな。そして、師匠たちに会うために行こうとしても煙が黙々とあがってどす黒い雲で方角をとることも難しい状況にあったんね。

 

 

 

せやけど、それでも若い衆と一緒に歩いていくねん。すると、道には死体が多数転がってあって、てんは怖い怖い思いをしながら道を歩くねんな。そして、道を歩いていると東京の芸人に偶然会います。

 

 

 

そこで、師匠らがいるところに案内してもらい物資をすべて届けてんな。師匠の柳家小は、てんの命がけの行動に涙を流して喜んでんな。大阪に逃げる者はおっても大阪から東京に向かってくる者はいいへん。

 

 

 

そういって、柳家小はてんのことをたたえてくれたんやんな。てんも師匠のような人材をなくすのが一番つらいと無事であったことを喜んでんやんね。

 

 

 

てんのとった一連の素早い行動に、東京の芸人たちの間で語り継がれるような伝説になってんな。そして、その結果として大きな見返りが10月にはやってくるねんな。

 

 

 

東京の寄席はなかなか復活しいへん状況の中、恩義を感じていた芸人たちがたくさんてんのもとを訪ねてきて、てんの運営する寄席に出演してくれるようになったんやんな。

 

 

 

その中には、師匠の柳家小もいてんやんね。東京の名人の芸は、大阪ではなかなか見ることができへん。そのため、てんの寄席はいつも満員御礼の状況になってんな。

 

 

 

時には、400席が定員のところ800席も集まるようなことがあるほどです。そのため、料金も倍に値上げするねんな。それでも、満員の状況はずっと続いていたんやんな。

 

 

 

ギャラも、震災前は120円していた料金が80円でやってくれてはったんね。それも、震災の際にしっかりとてんが柳家小らに物資を届けて命がけで心配した結果から起きたことやねんな。

 

 

 

東京の名人芸の人たちは、お金ではなくてんのために働いてくれたんやんね。その結果、落語会を二分していた三友派から寄席を購入することもできてんな。

 

 

 

大阪のシンボルを手中に

 

てんは、その後も寄席を買って買って広げていくんやんな。そして、そんなてんのところに通天閣の両サイドの寄席を買ってほしいという人物があらわれるんやんね。

 

 

 

しかも、寄席だけでなく既に大阪のシンボルとなっていた通天閣も一緒に買ってほしいという話になってん。当時、てんは通天閣は北村笑店には必要ないからいらないと思っててん。

 

 

 

そのため、それも交渉に利用しはるのがてんのすごさ。土地代に毛が生えた値段でないと買えないと値切ったんやんな。てんの周囲は通天閣の購入を反対すんねな。

 

 

 

なにせ、エレベーターの見物料金だけで赤字やから売りたいとやってきているねんから、買っても利益はでえへん。そう誰もでも思うやんな。せやけど、てんは違ったんね。

 

 

 

見物料をとるだけではない商いの形がきっとあるはずや。そう感じて、買ってもいいと思ってたんやんな。結果的には、その目論見は当たることになるんやんね。

 

 

 

昭和2年に通天閣を買い改修を行ったてんは、それまでになかったキャッシュポイントを作り出してんな。それは、通天閣のどてっぱらにどでかい広告を掲載したことで生み出されたんな。

 

 

 

それまで、誰も思いつかなかった広告を通天閣にくっつける。このことで、広告料と隣の寄席への入りもプラスして通天閣のもとをしっかりと稼いでみせたんやんね。

 

 

 

 

落語から漫才へ

 

通天閣を買った後もてんの快進撃は続いていくんやんな。そんな中で、すこしずつ変化してきたものがあってん。それは、安来節の人気が低迷すると同時に落語から漫才へと寄席の中心が変化していったことやねん。

 

 

 

当時は、漫才はまだまだ落語家に馬鹿にされるもの。万歳と書いていたころは、歌をうたったり色物扱いをお客さんからもされてはった。しかし、それらが徐々に変化していくねんな。

 

 

 

それは、藤吉が発掘したキースとアサリが果たした役割がでかかった。漫才を二人で、ネタをしてしゃべくりの今の原型をつくったのはこの二人の影響がおおきかったんやんな。

 

 

 

桂春団治から続いた落語の全盛の時代から、キースを中心とした漫才への変革が求められていたんやろな。それをてんが見抜き、漫才の数を一気にこれまでの倍のカズにしてんな。

 

 

 

それが影響して、落語家から漫才師へ転身するようなものまで現れはじめてんな。キースの漫才は、瞬く間に大阪中に広がり一大漫才ブームになっていったんね。

 

 

 

その頃には、上方落語こそが寄席の名物だと感じていたお客さんも漫才の面白さに気づいて寄席を見にくるように変化していってんな。そこで、てんは思い切って漫才専門の寄席をスタートさせたんね。

 

 

 

しかも、価格が十銭という安さやねん。やがてそれは、十銭漫才と言われ大成功を収めるこができてんね。てんは、キースやアサリに後輩芸人の漫才の指導をさせてんな。

 

 

 

そして、漫才専門の寄席を3つに増量したんね。それは、もう漫才が一つのブームで終わるものではなく大阪の笑いの文化になっていく証拠でもあったんやんな。

 

 

 

大坂の笑いが東京進出

 

その後、てんはキースとアサリを連れて大坂の笑いの中心・漫才の東京進出を目論んでんな。せやけど、これまでたくさんの芸人たちが東京進出を目指して失敗している。

 

 

 

しかも、今回はこてこての大阪弁で話す漫才での進出を果たそうとしてんねん。てんの心に否が応でも、不安な気持ちがよぎるんやんね。せやけど、蓋をあければそれは杞憂に終わったんやんな。

 

 

 

満員札止めの状況で、キースとアサリの漫才は爆笑を巻き起こしていたんね。会場にいたてんも東京のお客さまの様子をしっかりと見届け不安だった気持ちから漫才が東京でもいける。

 

 

 

そう、ふわふわで揺らいでいた自信が確信へと変化していっていることをその場で実感してん。てんは、その後に東京でも大阪の笑いを届けるために頻繁に余興を繰り返していったんやんな。

 

 

 

漫才で東京進出をしてから5年が経過してんな。北村笑店は、東京でも一定の成功を納めていたことから人気はピークに達しようとしててん。

 

 

 

わらいの都てを失う戦争へ

 

そんな頂点のような状況にあった北村笑店にもやがて、戦争の影が忍び寄ってたんやんな。芸人たちは次々と招集されていってしまうねん。それでも、芸人がいないと商いできへん。

 

 

 

そう考えていたてんは、戦地へ向かう者たちをそのものだけでなく家族まで手厚くサポートをしてんね。お給金以外にも物資をプレゼントしてんね。台所で手料理を振る舞うことも多かってん。

 

 

 

芸人の妻は恐縮するが、それは、他のどの企業よりも温かく心のこもったものやってん。しかし、食べ物を残した場合には容赦なく怒る。もったいない。そんな気持ちがどこまでもてんの中にはあるねんな。

 

 

 

そうやって他の丁稚や女中たちから、そこまでしなくてもと思われるほどの手厚い待遇をしていってんね。そして、ついにはてんの長男までもげ戦地に向かってしまうんやんな。

 

 

 

てんは、戦争に自らの子供が征ってしまうことで涙を流してしまってん。ずっと、女中のトキに育児から身の回りの世話を任せていた子供やけど、二度と会えへんなるかもしれん。

 

 

 

そう思うと、鬼の目にも涙がたまっていったんやんね。そして、ずっとお国(日本国)から言われていた通天閣の取り壊しも行われてんな。大阪のシンボルタワーですが、戦争になると鉄がいる。

 

 

 

そのことから取り壊しをずっと役所の方から言われててんな。せやけど、なかなか大きい建物やから解体するのも大変ということもありずっと解体は頓挫しててんな。

 

 

 

それが、東京の大空襲があったりする中で狙われやすいという理由もあり壊されてんな。それを見ながら、てんはこれまで藤吉と初めて寄席を買った時のシーン。

 

 

 

大坂のシンボルの通天閣を手に入れたときのこと。そして、大々的に広告を掲載することで通天閣の黒字化を図ったことなどを思い返してたんやんな。

 

 

 

そして、回想しならが通天閣はついに取り壊されてしまうねん。それは、てんとともにあった大阪のお笑いが通天閣とともに崩れていったことの象徴的な出来事になっていったんな。

 

 

 

その後、次第に戦争が激化していくと、死んでいった芸人さんがたくさんでてきてんな。てんは、そのことを誰よりも悲しみお墓参りにもできるだけいくようにしててんな。

 

 

 

また、空襲の影響で大坂や京都にあった寄席がすべて焼けてなくなってしまうねん。てんと藤吉が夢に描いた「笑いの都」は、戦争ですべてなくなってしまったんやんな。

 

 

 

それでも、てんは笑いは人々を救う力があると考え寄席を再びたちあげるねんね。大阪を笑顔にするために、何度も立ち上がっていったんやんな。それが自分の天命であること。

 

 

 

そして、30代半ばで亡くなった藤吉へ対するてんからのたった一つのできるお礼だったんやんな。わろてんかネタバレあらすじはここまで。今後追加していくねんな。

 

 

 

 

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