万太郎(板尾創路)モデル・曾我廼家十郎はどんな人物なの?

このページは、NHKの朝ドラ「おちょやん」の中で、喜劇王・須賀廼家万太郎(板尾創路)モデル曾我廼家十郎(そがのやじゅうろう)がどんな人だったのか見ていきます。

また、朝ドラ「おちょやん」の中で描かれている千之助(ほっしゃん)のモデル・曾我廼家十吾(そがのやじゅうご)の関係についてもお伝えしたいと思います。

曾我廼家十郎はどんな人?

 
プロフィール

芸名:曾我廼家十郎(そがのやじゅうろう)
本名:大松福松(おおまつふくまつ)
生年月日:明治2年4月26日
出身: 松阪市西町
没日:大正14年12月4日

喜劇の先駆けとなった人物が、曾我廼家十郎(そがのやじゅうろう)になります。近代喜劇の第一人者の曾我廼家十郎は、松坂市西町のかっぱやを営む家に生まれます。

当時の娯楽といえば、芝居見物。松坂には、全国を回る旅一座がよく訪れる場所でした。幼少期の十郎は、家業を手伝う中で芝居見物を楽しみにしていました。

 

看板役者の演技を見て、いつか自分も役者になりたい。そんな夢を描くようになります。家業がたちいかなくなった10代のある日、夢である役者になる道を選びます。

十郎は、まずは旅一座に加わります。下働きや裏方などの下積み生活を送りながら、いつか役者として有名になることを目指します。

 

しかし、思うように役がもらえないまま2年がたった後、本場である大阪に出ました。当時、舞台芸能で最大の人気を誇った歌舞伎の世界に入り、中村時蔵の弟子になり修行に励みます。

離縁の世界は、血縁がすべて。十郎は、表の世界に出ることはほとんどなく、歌舞伎の世界でもずっと裏方の仕事を続ける日々が続きました。

 

歌舞伎の世界で役者として身を立てることに限界を感じて、32歳で松阪に戻りました。一度、芸能の世界に離れますが、役者になる夢をあきらめられませんでした。

1年間、松阪で過ごしたのちに再び大阪に行くのでした。そこで、役者としての道を切り開く運命的な出会いが待っていました。

 

それは、曾我廼家五郎との出会いでした。8歳年下の五郎と出会い意気投合します。当時の演劇会は、派閥があり決まった演目を演じることしかできませんでした。

「演劇会に新しい風を吹かせたい」

 

2人は、強い思いを描き今までにない芝居を始めるのです。2人が目指したのは、オリジナルの物語で家族がそろって笑いながら楽しめるものでした。

明治時代の芝居といえば、歌舞伎なんですが歌舞伎はいろんな決まり事があり、それを取っ払って老若男女すべての方が楽しめるような芝居を目指します。

 

新しい芝居を目指した2人の演技は、なかなか受け入れてもらえませんでした。入場者がたった、3人という舞台もありました。

しかし、地道に演劇を積み重ねるうちに、徐々に人気が高まり興行師の目にとまりました。明治38年2月13日。

 

大阪の浪花座で、曾我廼家十郎、五郎一座を旗揚げすることになったのです。これこそ、日本の喜劇が誕生した瞬間でした。

彼らの代表作は、日露戦争のころに作った「無羊の子外」という演目でした。洋食屋のチラシを新聞の号外と勘違いした男たちが騒動を起こすドタバタ劇です。

 

現代劇は、時代にあったわかりやすいもので大いにうけました。二人を慕って弟子入りするものが増え、20人もの曾我廼家を名乗るものがでました。

十郎・五郎は、このように近代喜劇を確立したのです。ところが、旗揚げして10年をたたないうちに、芝居の方向性で対立をします。

 

五郎は、大袈裟でこってりしたドタバタ芝居を良しとしました。十郎は、淡白で飄々としたわらいを求めました。大正3年、人気絶頂の中で袂をわけました。

 

松竹新喜劇で目指してたのは、ちょっとした笑いだけじゃなく、喜怒哀楽の情を入れていた。五郎は、笑いに突っ込んで・・・これでもかと笑わせる。

十郎は、教訓めいたことやじわじわと後になって笑えてくるものを好みました。芝居の中で、変化をもたらす。いろんなパターンを作る。

 

そういった意味で、五郎と十郎の芝居は現代の喜劇に通じているのです。十郎は、五郎と別れた後も台本や演出を手掛けていきます。

演劇界に新しい風を吹き込んだ十郎ですが、白粉の鉛の毒で体調を崩し大正14年12月4日自宅で亡くなりました。57歳でした。

 

十郎は、役者としてクローズアップされますが、同時に台本の作家だったわけです。数々の台本を残したことで、その後の喜劇の方たちに財産を残した。

それは、現在でも脚色はされながら十郎原案のものが上映され続けています。十郎・五郎が確立した喜劇は、松竹新喜劇へと受け継がれ、吉本新喜劇へともつながっていきます。

曾我廼家十郎と十吾の関係とは?

ここからは、曾我廼家十郎さんと曾我廼家十吾さんの関係についてみていきます。朝ドラ「おちょやん」の中では、万太郎と千之助が兄弟一座で人気を得て、その後袂をわけます。

これは、動画やこれまでのところでもお伝えしましたが曾我廼家十郎さんと曾我廼家五郎さんとの間での出来事なので、曾我廼家十郎さんと曾我廼家十吾さんの関係性ではないです。

 

なので、万太郎については曾我廼家十郎と曾我廼家五郎の両方をモデルにしてるんやないかなと思います。

もしくは、千之助さんを十吾さんと五郎さんの両方をモデルにしているのだと思います。いずれにしても、完璧にモデル通りに描いているのではないと思います。

 

実際の十郎さんと十吾さんの関係性は、十吾さんが九州の十郎と呼ばれていたことや渋谷天外と十吾さんを引き合わせたというエピソードがあります。

なので、十郎さんと十吾さんはお互い知った仲であったことは間違いないです。ただし、「おちょやん」の万太郎と千之助の関係は、十郎さんと五郎さんを描いていると思います。

 

曾我廼家十郎さんと曾我廼家五郎さん。そして、曾我廼家十吾さんの全員が間違いなく現在の喜劇への道を作ったということだけは間違いないと思います。

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