大橋芳子(三女)はどんな人だったの?

このページでは、朝ドラ「とと姉ちゃん」でヒロイン小橋常子(高畑充希)の妹で三女の小橋美子(杉咲花)の実在モデルとなっている大橋芳子おおはしよしこ)さんについてどんな人だったのかを紹介していくねんね。

 

大橋芳子さんは、現在でも続いている「暮らしの手帖」を創刊した大橋鎮子さん三姉妹の末っ子になんねな。生まれは、大橋武雄さんが北海道に工場長として転勤していた時に生まれたので北海道の虻田になります。幼少期から、父の武雄さんに甘える甘えん坊やってんね。

 

末っ子らしくとにかく甘えるねんね。かわいらしい洋服が好きで、おままごとをして遊ぶことが大好きな幼少期を過ごすねん。しかし、一度こうと決めたらあきらめない性格の持ち主で、また神経質と思うくらいきれいに部屋を片付けるんやんね。

 

特にこうと決めたらやりぬくという性格は、大橋鎮子さんにも共通するところやねんね。幼いころからこの大橋芳子さんは、大橋鎮子さんはととの代わりにしてたこともあり憧れてたからよく似た筋の通った女性になったんかもしれへんね。




三姉妹一緒に衣装研究所!

仕事は、姉の作った「衣装研究所」の創業当初から働いててんね。そんなところからも、姉や家族との仲の良さっていうのがでてるんちゃうかなって思うんやんね。

 

どうしても、家族仲が悪くなるから一緒にはやりたくないって人が多いんですけど、そんなことも特になく創業から最後亡くなる2014年の10月まで取締役として仕事をまっとうしてんねな。

 

三姉妹の中でも、特に末っ子だった大橋芳子さんは大橋鎮子さんに憧れをもっていたんだと思うんですね。ずっと父親代わりをしてくれてましたし、上の二人とはやや年齢も離れていたから余計にそうなんだと思います。

 

大橋芳子さんのことをいろいろと知っていくにつれてその印象はさらに強くなっていくねんね。私も三兄弟の末っ子やから、なんとなく気持ちもわからないでもないですしね。

 

粘り強い性格は大橋鎮子さん以上?

暮らしの手帖の時には、ライターへの記事依頼は主に大橋芳子さんと大橋鎮子さんの仕事やってんね。当時はまだ、無名の雑誌だったために記事を書いてもらうことを承諾してもらうのも一苦労やってんねな。

 

そんな中でも、大橋芳子さんは大橋鎮子さん以上に粘り強く記事の依頼をしててんねな。この頃に暮らしの手帖が依頼してたのは、後のノーベル賞作家の川端康成さんだったり、芥川龍之介と交流のあった作家の佐多稲子さん。

 

週刊誌の鬼と言われた扇谷正造さんなどそうそうたるメンバーやってんね。皆さんお忙しいかたばかりで新しい新参者の雑誌がなかなか食い込めるような相手ではなかってんやんね。それでも、大橋芳子さんは直接会いに伺い依頼をこぎつけててんねな。

 

この辺りは、大橋鎮子さんの仕事ぶりを見て学んだものと、さらに大橋芳子さんの性格の粘り強さがミックスしてより素晴らしい仕事を発揮しててんねな。




仕事をなんでもこなせるスーパーマン!

また、きめ細やかな性格をしていたことから花森安治さんの机のまわりは大橋芳子さんしか整理できないと言われたほどしっかりと花森安治さんの机周りを整理整頓しててんねな。

 

花森安治さん自身が、鉛筆の位置が少し変わっているだけで嫌がる性格やったことから、大橋芳子さんのきちんと出来る整理整頓を喜んだんやんな。このように書いていくと、裏方のような仕事をメインにしていたのかと思われがちですがそんなことはありません。

 

暮らしの手帖の長年の人気企画「エプロンメモ」のコーナーは大橋芳子さん自身が企画したものです。なので、雑務をしてもライターに仕事を依頼する折衝能力も企画力も持ち合わせたやり手のキャリアウーマンやってんな。

 

そして、もうひとつこの大橋芳子さんではずせないポイントがあるねん。それは、生涯結婚をしてないというところやねんね。これは、大橋鎮子さんと同じでここにも憧れがあるのかなってちょっと思いました。

 

もう本人がお亡くなりになられていますので、ご確認することはできないですが本当に家族の絆が強かった三姉妹なんだなあと改めて感じてんねな。そんな絆をとと姉ちゃんで見えるのは楽しみですね。最高のモデルの三姉妹だと思うんやんね。




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