林正之助(吉本せいの弟)はどんな社長だったの?

林正之助

このページは、吉本せいの弟で吉本興業の社長をつとめた林正之助(はやししょうのすけ)がどんな人物だったのかについてお伝えします。

林正之助は、吉本せいの後の吉本興業の社長になります。そのため、吉本興業の歴史を語るうえでも外すことのできない人物の一人になります。

林正之助は1899年(明治32年)1月23日生まれの三男になります。12人兄弟の三男で、吉本せいとは年が10歳離れています。

義務教育を出た正之助は、明石の呉服屋で奉公していました。そんな正之助を吉本せいが忙しくなったために真っ先に声をかけたのが正之助でした。

せいが経営する寄席がどんどん増えていたこともあり、自分と吉本吉兵衛(よしもときちべえ)だけではどうしようもなくなったことから正之助呼び寄せたのです。正之助は、まだ19歳の頃でした。







林正之助の仕事ぶり

林正之助は、せいに呼ばれてかなり早い段階で吉本興業部の組織を手助けしていました。1917年(大正7年)に、金沢席を買収して花月と名前を変えたころにはすでにせいにとって右腕になる存在でした。

そのため、肩書的にはすでに「部長」という役職についていました。仕事内容は、まだ入場券もないころに事務所に申告してくる客数と実際の客数が違ってはいけないので、自転車で寄席の見回りをすること。

正之助がチェックすることで、吉本せいや吉兵衛の一族が目を光らせているという役割を果たしていたのです。また、吉本興業の発展を語る上で必ずでてくる安来節。

当時は、寄席の中でも主流でなかった安来節を本場の島根からたくさんの人を連れてきていました。その役割で中心になっていたのが正之助でもありました。

もちろん、吉本せいも島根にまで足を運んでいますが、せいが行っていたのは最終決裁だけだという。あくまで、安来節の人選をしたのは正之助だったのです。

ただし、そのことが落語家たちの批判を浴びるきっかけになりました。せいや吉兵衛は芸がわかっているけれど、正之助は芸がわからない。銭勘定のことしか考えていないと言われるのです。

吉兵衛が亡くなった後に正之助が芸人との折衝をしなければならなかったのですが、個性たっぷりの落語家たちは正之助を批判したのでした。

そうなってくると、正之助も落語家よりも自分の力でなんとかという想いから安来節や万歳の当時主流ではない芸人に力を入れることになります。








東京進出に大きく影響した関東大震災

大正12年に起きた歴史的な震災の関東大震災が起きました。吉本せいは、正之助に指示をだし被災者が困っていた米と毛布をすぐさま届けました。

それが東京の芸人たちに大きな感動を与え、吉本のためにといろんなイベントで協力してくれる芸人が増えていったのです。そして、それが吉本の東京進出の手助けになったのです。

吉本興業の発展をさせたのは吉本せいと右腕として働いていた正之助の力が大きかったのです。吉兵衛が亡くなった後には、正之助の仕事がもっと忙しくなることを考えたせいが四男の弘高も吉本興業に呼び寄せます。

兄弟は、同じ血をわけているのですが性格はまったく異なります。ガサツで強引な正之助。神経質で文学が大好きな弘高。二人を合わないと考えた吉本せいは、二人を一緒に働かせることはありませんでした。

そのため、弘高に東京進出を果たしす前からの吉本興行の舵取りを任せたのです。ただ、性格的に強引なところがあった正之助は、せいが亡くなった後にそれまで以上にワンマンな経営者となっていきます。

そのため、兄弟仲は微妙な関係でした。ただ、正之助の経営のセンスは抜群でした。万歳を漫才と名前が変わり一躍ブームになった影にはせい以上に正之助の力が大きかったのです。

その原動力が「銭勘定だけの男」と落語家たちに揶揄された悔しさからです。そして、林正之助は自らの手で株式を東証一部に上場させるのです。








吉本興業を発展させたがトラブルも

吉本せいが大きくした吉本興業をさらに発展させたのがこの林正之助と言って間違いないでしょう。ただ、上場して以降に起きた身内が2億円を使いこんだ事件で正之助は、代表を弟の林弘高に譲ることになります。

そして、ついには代表を退いてしばらくして警察に逮捕されてしまう事件が発覚します。逮捕された原因になったのは、マーキュリーレコードを乗っ取り土地の地上権と借地権を相場よりも大幅に安い値段で購入しました。

あり得ないほどの安値の価格で購入する際に、林正之助が山口組の名前を出したためにお金が山口組に上納されていたのではないか。そんな容疑をかけられての逮捕でした。

釈放後も吉本興業に多大な影響をもっていました。林正之助は、自ら代表を降りても自分が代表者だというプライドがあったのです。その後、弟が脳梗塞で半身不随になったことで、1970年に再度社長に復帰します。

その後も一度、社長を退くことがありましたが亡くなる1991年まで社長を務めています。林正之助は、初代の桂春団治やエンタツ・アチャコなど数多くのトップ芸人と仕事を共にした最も偉大な吉本興業の社長になるのではないでしょうか。

裏社会とのつながりを批判する人もいますが、吉本せいの裏で芸人の折衝をやっていた時代から、漫才をプロデュースし今日まで安泰の会社の礎を築いたのはこの林正之助の力がなければなかった。それぐらい偉大な人物です。







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