林豊次郎(吉本せいの父)はどんな人だったの?

このページは、吉本せいさんのである林豊次郎はやしとよじろう)さんがどんな人物だったのか様々なエピソードを交えお伝えしていきます。

また、後半にはNHKの朝ドラ「わろんてんか」の中で林豊次郎さんをモチーフ(モデル)にしている藤岡儀兵衛遠藤憲一)との違いや関係性についてもみていきます。

その前に、まずは林豊次郎さんがどんな人物だったのか。どんな人生を歩んだのかについて詳しくみていきます。

吉本せいの父・林豊次郎とは?

林豊次郎は、文久元年(1861)12月10日に兵庫県明石郡戎町で生まれです。林ちよと結婚した後に、子宝にも恵まれ明治32年に明石から大阪の西成に移っています。

吉本せいが生まれたのが明治22年になりますので、大阪に移ったのはその10年後ということになります。子供は、妻・ちよの子をたくさん授かっています。

長男・信之介、次女・きく、三女・せい、次男・千之助、三男・正之助、四男・勝、五男・治雄、四女・ふみ、はな、ヨネ、富子と亡くなった長女を含めると12人も授かっています。

林豊次郎が大阪の西成に移ってしていた仕事は、米穀商(べいこくしょう)で信用の高い仕事をしており誰もが知っている大手会社の精米なども手掛けていました。

ちなみに米穀商とは、今の米屋にあたる商売になります。しかし、米屋として大きな取引をしていても多くの子供を抱えている林家は、決して裕福な暮しができるわけではありませんでした。

そのため、成績優秀で進学の希望をもっていたせいも義務教育を卒業したらただちに船場に奉公にだされています。子供がたくさんいるなかでも、豊次郎はせいのことをよく面倒をみました。

せいが吉本家に嫁いだ後でも、遊びまわる吉本吉兵衛の話を聞いては「先の見込みがなければ別れてしまえ」とアドバイスするのでした。

また、それとは逆に弱気になっているせいの話を聞いては「嫁ぎ先から戻るときは骨になって戻れ」というぐらい厳しいことも言ってくれる父親です。

娘の状況をしっかりと把握して、適切な言葉をかけていたのです。本当の意味で、優しい父親であると言えるのではないでしょうか。

また、吉本家が荒物問屋をたたんだ後に寄席経営をしようと思ったときに、せいがお金を借りにいった時もお金を出してくれています。10人以上子供がいてもせいについては特別な思いがあったのかもしれませんね。




わろてんかの藤岡儀兵衛と林豊次郎の違い

2017年後期の朝ドラ「わろてんか」の中で、林豊次郎をモチーフに描かれているであろう人物が藤岡儀兵衛になります。藤岡儀兵衛は、堅物で番頭上がりです。

そして、ヒロインのてん(葵わかな)に厳しく接する父です。ストーリーの中で、てんの笑いを禁止するほどの厳しさです。しかし、その逆にすごく家族想いのところがある人物でもあります。

今回のNHKの製作サイドが発表していることは、吉本せいさんをモデルにしているのではなく、あくまでモチーフとして描いているということが発表されています。

そのため、一致していない可能性が高い確率であります。その中で、林豊次郎さんと藤岡儀兵衛の共通点として挙げられるのが家族想いというところです。

嫁入り後もきっちりと、豊次郎さんがせいの話を聞いていたように家族のことを大切に思っているのが儀兵衛の特徴となります。しかも、堅物というところも似ていますね。

逆に違う点というと、やっていた商いが林豊次郎さんは米穀商(米屋)で、藤岡儀兵衛では薬問屋になっていますね。その点が違うかなと思います。

また、子供の一も異なりますね。この辺りは、さすがにドラマで10人以上の子供をってのは無理ですので当然と言えば当然だと思います。

ただ、個人的にはかなり近い感じて描いているんではないかなって思います。まったくのオリジナルストーリーというよりは、かなりモチーフに近い形の存在であると思います。

 



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