八郎(松下洸平)のモデル・神山易久はどんな人物だったの?

このページでは、朝ドラ「スカーレット」の十代田八郎(そよだはちろう)モデルになっている神山易久(こうやまやすひさ)さんについて紹介します。

また、後半にはスカーレットの中の八郎とどのように異なるのか。同じなのかというところも具体的に解説していきます。

 

なので、朝ドラ「スカーレット」の八郎のモデルが気になる。どんな人物だったのか興味がある。実際のスカーレットの中では、どのように描かれるのか知りたいというあなたはご覧ください。

神山易久はどんな人物なの?



神山易久(こうやまやすひさ)さんは、昭和11年(1936年)滋賀県信楽町で生まれます。曾祖父が陶器を扱う仕事をして、祖父が陶土を扱う仕事をしていました。

その影響を受けて、職業訓練学校を卒業後に神山易久さんも陶器の世界に就職しクラフトデザイナーを学びます。会社は「近江化学陶器」です。これは、神山清子さんと同じ会社です。

 

神山易久さんは、中学で神山清子さんの1つ先輩になります。中学当時から神山清子さんは、絵が上手で美術の作品は神山清子さんがいつも1位。

神山易久さんは2位でした。そのため、易久さん自身はライバル視していましたが神山清子さんにはそんな気持ちは一切ありません。それどころか、いつも2位が易久さんだとすら気づいていませんでした。

 

そんな中学時代の先輩後輩の2人ですが「近江化学陶器」でお互い働きだして再会します。ただし、別部門で働いていたので大きな接点はありませんでした。

しかし、易久さんはしばらくして絵付け係に部門が異動になりました。清子さんは、そこですでに主任のような立場で仕事をしていました。

 

易久さんが部門を移ったときは、先生が一人、清子さんが主任のような立場。助手が他に3人いる状態でした。そんな中で、易久さんは絵付けを学ぶのですが当初、おとなしく清子さんと話すことはほとんどありません。

しかし、清子さんの絵をとても気に入り「これ、とてもいいな」と話したことがきっかけになり会話をするようになります。それがきっかけで、すぐにふたりは付き合うようになります。

 

狭い地域ですから、それがすくに周囲に知れ渡ることになります。しかし、清子さんの父・金場某さんに結婚を反対されます。それは、清子さんに婿養子を招こうと考えていたからです。

易久さんは、婿養子になることを了承しましたが清子さんがそれを反対したことで清子さんが嫁入りすることになりました。

 

その代わりに、神山易久さんと神山清子さんが父・金場某さんたちと同居する形で生活をすることで折り合いをつけます。その当時は、2人とも「近江化学陶器」で共働きをして生活をします。

慎ましやかな生活を神山易久さんと清子さんの家族が一緒にしていました。そして、神山清子さんは長女・神山久美子さんを産みます。

 

神山家では、清子さんが専業主婦になる余裕はなく、久美子さんを会社のむしろで寝かせて仕事をしていました。それからほどなく、長男・神山賢一さんも誕生します。

神山清子さんは、子供を2人育てながらも会社を休むことは一度もなく皆勤賞で表彰されるほどの働きぶりでした。それから、しばらくして火鉢が世の中から消えていきます。

 

それが原因で、絵付けの仕事がなくなります。神山清子さんは、絵付けの仕事をあっさり諦めて会社を退職します。しかし、神山易久さんは家計のため会社に残ります。

やがて、易久さんは「近江化学陶器」のライバル会社「日本陶飾」から役員待遇でスカウトされ、転職しますが職場の人間関係がうまくいかず4年ほど勤務して退職します。

 

そして、神山清子さんが作っていた工房を一緒に手伝うことになります。しかし、清子さんと易久さんの両方が工房で働くようになり収入が激減します。そのため、父が所有していた山を売却します。

そのお金で電気を使わず、信楽の土を使って作る穴窯「寸越窯(ずんごえがま)」を作ります。そして、その穴窯で信楽焼を焼くようになります。

 

それが京都で信楽焼が好きな美術商の目にとまり、その美術商から支援を受けれるようになります。それから、神山易久さんの家族はお金に困らなくなります。

しかし、このころに易久さんの女性関係がひどくなり弟子などと浮気をするようになります。そして、中学生になっていた長男・賢一さんが神山清子さんに言いました。

「僕は母ちゃんと姉ちゃんとで頑張る。お父ちゃんはいなくていい。」

 

この賢一さんの言葉で、神山清子さんは気持ちを固めて易久さんと離婚することになります。易久さんは、弟子と家を出ることになったのです。

離婚後も神山易久さんは、信楽焼の陶芸家として国際的な活躍をしています。神山易久さんの人生は、神山清子さんとの離婚後は、あまり語られることはありません。

 

しかし、離婚後も穴窯をどんどん作っていったことで信楽焼の陶芸家として日本のみならず世界的に個展を開き活躍しています。

神山易久と八郎の違い

ここまで、神山易久さんの人生がどのようなものだったのか見てきました。信楽焼の陶芸家で、国際的に活躍してきたことがわかりましたね。

では、朝ドラ「スカーレット」で神山易久さんをモデルとして描かれている八郎と、どこが同じでどのように違うのでしょうか。具体的に見ていきましょう。

 

まず、同じところはたくさんありますね。まず、「近江化学陶器」に勤務して恋に落ちて結婚するというのは同じですね。スカーレットの中では、丸熊陶業で一緒に働き恋に落ちて結婚します。

なので、このあたりはそのまま描かれています。また、結婚に際して父親の反対にあうというのも同じです。スカーレットでも常治(北村一輝)が猛反対します。

 

結局結婚するので、ここも同じように描かれてます。そして、父親と一緒に同居するというのもモデルそのままですね。常治が増築して、一緒に住み始めるので同じです。

逆にドラマと異なるところは、小さなところからいくと1歳違いっていうのは違いますね。スカーレットの中では、2歳違いになっていました。

また、同じ中学の一つ違いっていうのも違います。八郎は、火祭りも知らないよそから来た人になっていますので異なりますね。

 

今後は、モデルの神山易久さんどおりになるのであれば弟子と出ていくというストーリーになります。そして、離婚ですね。そのあと押しをするのが息子。

現在の八郎を見ていると、そこまで悪く描かれるような気がしないのですが・・・モデル通りに描くとそうなります。

 

そして、スカーレットは八郎と喜美子(戸田恵梨香)の結婚までを見ているとモデルに忠実に描いていることがわかります。そのため、大筋では離婚に向かっていくのかなと思います。

これまでのところは、ほぼモデル通りになりますが今後、二人の関係が悪くなっていくのか。八郎が別の女性をつくるのかに注目していきたいと思います。



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