川原武志(伊藤健太郎)のモデル神山賢一の人生とは?

このページは、人気ドラマ「スカーレット」の主役・喜美子(戸田恵梨香)の長男・川原武志(伊藤健太郎)のモデル神山賢一(こうやまけんいち)さんについて紹介しています。

神山清子さんの息子として、どのような人生を歩んだのか詳しく解説していきます。また後半には、十代田武志と神山賢一さんとの違うところや同じところも比較しています。

 

朝ドラ「スカーレット」のモデルのことが気になる。スカーレットをいつも見ているというあなたには、楽しめる内容になっていることをお約束します。最後までお付き合いください。

神山賢一の人生とは?



神山賢一(こうやまけんいち)さんは、1961年(昭和36年)2月16日に滋賀県信楽町で神山易久さんと神山清子さんの間の長男として生まれます。

幼い頃は、背が低く小学一年生のころはクラスで一番前の身長でした。あまりに小さいためランドセルで体が隠れてしまうほどでした。

 

そのため、ちびとかランドセルが歩いているとか同級生にからかわれていました。しかし、元気いっぱいの子どもでした。レンゲ畑で友達と寝っ転がって学校中で大騒ぎになったことも。

賢一さんは、母・神山清子さんと長女・久美子の3人でレンゲ畑の空気を一緒に吸っていたことを思い出し友達と一緒にレンゲ畑に行くと気持ちよくなって寝てしまっていたのです。

 

賢一さんは、幼いころから神山清子さんの窯たきの手伝いをよくしていました。薪割や、土を運んだり花瓶を一緒に作ったりと清子さんは賢一のことを助手のように行動を共にしていました。

易久さんが別に女性を作って、清子さんが悩んでいるときも賢一さんは易久さんと別れることを後押しします。賢一さんは、「母ちゃんと姉ちゃんと3人で頑張る。僕がアルバイトして助ける。」と話したのです。

 

賢一さんは、口数こそ多くありませんが友達はたくさんいました。習い事も少林寺拳法や久美子さんに教わって、テニスやバドミントンもしています。バドミントンについては地区大会で優勝したこともあるほどです。

そして、一番夢中になったことは高校時代のモトクロス。鈴鹿のロードレースで入賞したこともあるほどの腕前でした。そんな賢一さんが進学したのは信楽工業高校です。ここで窯業科を専攻します。

 

工業高校を卒業後は、信楽窯業試験場で3年間働きロクロや釉薬、石膏などを勉強します。そして、家に帰ってきました。このころには、クラスで一番小さかった身長は1m75cmまで伸びていました。

賢一さんは、釉薬を研究していたので天目茶碗に見せられ母・神山清子さんとは違う焼き方を追求していました。賢一さんが天目茶碗を選択したのは、親の力を借りて生きていくのは嫌だという思いからでした。

 

それに対して、神山清子さんも「自分の道は自分で決めたらええ、穴窯は私が亡くなった後に継いでくれたらええ」と答えています。親子で違う陶芸を極めようとする関係。そのことに幸せを感じていた29歳のある日。

賢一さんは、土間に倒れて腰を痛がります。そして、病院に行き検査の結果「慢性骨髄性白血病」と診断されます。しかも、このままだと余命が2年半だと母・神山清子さんに医師から伝えられます。

 

このままだとというのは、同じ型のドナーが見つからなければという意味でした。近親者の間で、ドナーを探しますが賢一さんと合うドナーの型は見つかりませんでした。

それから、賢一さんと合うドナーを探すために友人が「神山賢一くんを救う会」が結成されます。その活動の輪が広がりやがて、市民グループなどで結成される「神山賢一支援団体連絡協議会」も結成されます。

 

当時は、まだ白血病患者のためにドナー提供する骨髄バンクがなく、骨髄バンクの必要性を協議会や救う会で訴え続けます。

その活動の甲斐があって、わずか4月で2913人ものドナーが集まります。しかし、それだけの数が集まっても賢一さんとあう型がありませんでした。

 

そして、1991年1月に「骨髄バンクと患者を結ぶ会」が東京で結成されます。全国の白血病患者の家族が中心となって動き出します。賢一さんは、その会長になります。

「骨髄バンクと患者を結ぶ会」の運動をしながら、入退院を繰り返す賢一さんですがその合間に天目茶碗をつくるためにロクロを回し作品も作ります。

 

その後も賢一さんは、入退院を繰り返します。やがて、白血病は慢性から急性に変化します。しかし、合う型のドナーはないままが続きます。

そのため、担当医から叔母の金場静子(川原百合子のモデル)が型が近いの移植してみないかと提案を受けます。神山清子さんがそれをOKして、骨髄移植することになります。

 

手術は、成功しました。白血球は、日がたつにつれ増えていき1700まで増えました。日に日に体調がよくなり、無菌室から個室。個室から大部屋へと移動していき退院がもうすぐというところまで回復してきました。

しかし、白血病が再発してしまいす。そして、もう治療は難しいと担当医から神山清子さんに言われ、賢一さんにも伝わります。賢一さんは、徳川美術館行きたいとリクエストを出しました。

 

徳川美術館には、天目茶碗がたくさん飾られているのでそれを見たかったのです。そして、外出の当日に医師や看護師帯同のもと徳川美術館に行きますがその日は休館日でした。

その代わりに、名古屋城に上ります。賢一さんは、名古屋城で大好きなラーメンを一口だけ食べました。そして名古屋城から帰った翌日の1994年5月21日、神山賢一さんは亡くなりました。32歳でした。

神山賢一と川原武志の違い

ここからは、伊藤健太郎さんが演じる川原武志と神山賢一さんのどのようなところが同じで、どのようなところが異なるのか。それをここからは、解説していきます。

現状では、川原武志については母親・喜美子(戸田恵梨香)のことを尊敬しており、工房で喜美子の手伝いをよくしていたというところしかわかりません。

 

そのため、比較はとても難しいのですが喜美子の手伝いをしているというのは同じですね。神山清子さんの助手のように神山賢一さんも手伝っていましたのでそこは同じです。

武志は、母親のことを尊敬しているとのことですから焼き物の世界に入るのではないでしょうか。かなり確率は高いと思います。

 

今後、どのような役になるかわかり次第追記していきますが、おそらく神山賢一さんに忠実に描かれるのではないかと考えられます。そうなると、白血病の話になりますね。

朝ドラでどこまで描くのかはわかりませんが、重い雰囲気になるためそのあたりはない可能性もあります。スカーレットがどのようなストーリーになるかわかり次第その点も追記していきますね。

 

少しだけお待ちいただけたらと思います。いずれにしても、神山賢一さんをモデルに川原武志を描くことになりますので、白血病は避けて通れない気はします。今後のストーリーが楽しみですね。



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