安藤仁子の姉・安藤澪子はどんな人物だったの?

このページは、朝ドラ「まんぷく」の主人公のモデルとなった安藤仁子さんの姉・安藤澪子さんがどんな人だったのかお伝えしています。

 

連続テレビ小説「まんぷく」の主人公のモデルとなっている安藤仁子(まさこ)さんについては、ある程度人物像が残っています。

 

チキンラーメンやカップヌードルなど世界的に普及した食品を開発し、発明王とも言われた夫である安藤百福(ももふく)さんの自伝や、関係する書籍等に紹介されているからです。

 

一方で、早世した安藤家長女の晃江(てるえ)さんもそうですが、仁子のすぐ上の姉(次女)である澪子(みおこ)さんは、書籍等に登場することも少なく、その実像は、客観的な資料が少なくて定かではありません。

 

ただ、書籍等で明らかになっている妹・仁子さんの生い立ちとあわせ、幾つかの伝聞で肉付けをするとその人物像が浮かび上がってきます。

 

澪子さんの人物像を語る前に、『安藤』という家について少し整理しておきます。そもそも、仁子の夫である安藤百福さんは台湾出身で、呉(ゴ)百福という名前でした。

 

結婚して安藤姓を名乗るようになったということに留意する必要があります。安藤家は、福島県二本松市にある二本松神社の神職の一族で、当地では名家の一つでした。

 

父・安藤重信は、当時の言わば高学歴のエリートで、土木技師として、高名なダムなどの設計にも関わっていたようです。

 

このような出自ですので、3姉妹の幼少時は名家のお嬢様といったところでしょうか。その後、父親とは死に別れ、母と姉妹は大阪で暮らすようになります。

 

ただし、この父親との死別時期と大阪で暮らし始める時期には諸説あるようで、巷間伝わる澪子の結婚に至るエピソードによれば、父親は大阪時代には生存していることになります。

 

福島で死に別れたという話しは、百福・仁子夫妻の歴史をドキュメンタリー調で整理した書籍に記載されていますので、信ぴょう性が高いように感じられます。

 

ただ、父親存命中の大阪時代においても、幼少期は裕福な暮らしであったとのことなので、どちらの説をとっても、お嬢様育ちは間違いないようです。

 



 

運命の出会いと極貧生活

さて、澪子さんが結婚することになる有元一雄という人は、京都で活動していた日本画家と言われています。澪子さんの姉である晃江さんは絵の達者で、この有元と同じ絵のグループに在籍しておりました。

 

観音様の絵を描くにあたって「手」のモデル探しをしていた有元に妹を紹介したと伝わっています。このモデルがきっかけで二人は結婚に至るのですが、ここから澪子さんの極貧生活が始まることになります。

 

夫の有元は、芸術家肌で絵を金にするという感覚に欠けていたようで、せっかくの絵の上手を活かすことができません。

 

生活のために絵を売るということができないため、五男三女の子宝に恵まれたこの夫婦は、極貧の生活に追い込まれていきます。

 

芸術家という立場にこだわる困った夫のおかげで、澪子さんは近所の手伝いなどをしながら糊口をしのぐ生活を強いられることになるのです。

 

このころから妹の仁子さんはすでに働いており、小さいころから何かと気遣ってくれた姉の生活を助けるために、自分の着物を質に入れて有元の絵を購入するなどして、様々な援助をしています。

 

しかし、戦時に至ると更に生活が苦しくなります。すでに結婚していた仁子さんの疎開先(兵庫県西部の上郡町)まで行き、自身の長女を託して食い扶持を減らさなければならないほど困窮します。

 

このような苦しい生活を続けながらも子供達を育て上げるのですが、この子供達が、後に仁子さんの夫・百福さんが創業した日清食品で活躍することになるのです。

 




 

日清食品における息子の出世と凋落

澪子さんの四男である那芽満(なつみ)さんは、安藤百福さんとともに日清食品の創業メンバーとしてチキンラーメンの試作から携わります。

 

日清食品には那芽満さんの長兄・一馬もおり、この頃になると澪子一家の生活も安定してきました。

 

会社の成長とともに那芽満さんたちは百福さんの側近として出世しますが、昭和45年に至り、当時、東証二部に上場して大企業となっていた会社に不祥事が発生します。

 

役員となっていた那芽満さんが会社の手形を乱発して横領事件を引き起こしたのです。会社の規模と社会的責任からして、身内が引き起こした不祥事(犯罪)を不問に付すことはできませんでした。

 

百福さんは断腸の思いで創業メンバーであった甥の那芽満さんを解任しますが、その後、兄の一馬さんもこの一件に連座する形で責任を問われ、会社から身を引くことになるのです。

 

この後の詳細は判然としませんが、苦しい戦争の時代を乗り越え、ようやく手に入れた安穏な暮らしも、この不祥事を期に「霧散するがごとし」だったのではないでしょうか。

 

澪子さんは、平成5年7月に83歳で死去していますが、妹・仁子さんに劣らず、その人生は波乱万丈であったことがうかがわれます。

 



 

あなたにおススメのページ

忠彦モデル・有元一雄は画家として成功したの?

松下奈緒(今井克子/いまいかつこ)

安藤仁子の家系図/まんぷく実在モデル一覧はコチラ!



 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です