安藤百福の子供(次男)/安藤宏基はやり手の経営者?

このページは、朝ドラ「まんぷく」で話題の安藤百福さんと安藤仁子さんの子供安藤宏基さん(ひろき)さんがどんな人物なのかみていきます。

 

朝ドラ「まんぷく」の中では、立花源(たちばなげん)として描かれています。なので、立花源のモデルとなっているのが安藤宏基さんになります。

 

ちなみに、安藤百福さんの男の子供は妾とつくった長男・安藤宏寿さんと安藤宏基さんがいますがモデルとなっているのは安藤宏基さんだと思われます。

 

安藤宏基さんは、1947年(昭和22年)10月7日に大阪で生まれました。母の仁子さんは、自分が幼少期に苦労した経験から、子供達にはしっかりとした教育を受けさせ、自立した人間にするためかなり厳しく育てます。

 

教育面では、安藤宏基さんと長女の明美(あけみ)さんを厳格なキリスト教の幼稚園に通わせています。また、進学校の大阪芸大附属の小学校に入学させるために塾まで通わせたのです。

 

こんな中、安藤宏基さんはかなりのわんぱくで母を困らせています。年下の子供たちを集めて、山へイノシシ狩りに出かけ、本当にイノシシに出くわして危険な目にあったり、花火遊びでボヤ騒ぎを起こしたりします。

 

また、父が買ってきて池に放してあった金魚を三枚におろして犬に食べさせたりと、厳しい躾を受けた子供のいたずらとしては、危険で大人が驚くようなものが多かったようです。

 

当然、母のお仕置きがあるのですが、これがまたかなりのもので、柱に縛り付けたり、真っ暗な部屋に閉じ込めて怖がらせたりと、小学生に与える罰としては厳しいものでした。

 

子供のほうは真剣に遊び、親は真剣に叱るという、なにかの闘いのような印象を受けます。将来、日本を代表する会社・日清食品のトップとしての素養をこの時代に培われたのかもしれません。

 

日清食品の中で様々な社内改革を断行して組織の活性化を進める実行力は、わんぱく時代に培われた可能性が高いですね。

 



 

死に損なって気づいたこと

安藤宏基さんのわんぱくは、青年期になっても変わらず、より危険な目にあっています。慶應義塾大学の合格祝いに自動車を買ってもらったのですが、大きな事故を起こします。

 

前のトラックにパッシングしてあおり、トラックが左へ寄せて進路を譲ったので対応車線に出たとたん、対向車と正面衝突したのです。安藤宏基さんは、車のハンドルが折れて胸に刺さる重傷でしたが命をとりとめます。

 

幸い、対向車に乗り合わせた3人も無事で、死者は出ませんでしたが、この事故を機に、安藤宏基さんは母に守られていることを実感することになります。

 

事故を起こした車のフロントガラスとダッシュボードの間に、母が安全祈願したお守りの木札が挟まり、ガラスが割れるのを防いでいたのです。

 

ガラスが割れていれば命はなかったといわれる事故でしたので、まさに、お守りのおかげで九死に一生を得たのです。安藤宏基さんが、このことで「母に守られている」と感じるのには、他のエピソードも関わっています。

 

大学に入学したての頃、友人の紹介で盲目の女性占い師と会うのですが、この占い師が安藤宏基さんに、『あなたはお母さんの大きな慈悲の心で一生守られています』と告げたのです。

 

事故後、安藤宏基さんはこの占い師の言葉を思い出し、母の深い愛情に守られていることを信じるようになったのです。

 

ちなみに、この占い師は、安藤宏基さんと同席した二人の友人に対して将来の姿を告げており、その通りになったとのことです。

 




 

安藤百福を超える手腕

安藤宏基さんは、慶應義塾大学を卒業後、コロンビア大学留学を経て1973年に日清食品に入社します。当時は、カリスマとして君臨する父・安藤百福さんの鶴の一声ですべてが決まる状態でした。

 

折しも、百福さんは「カップライス」の開発に乗り出していました。当時、国内ではコメの豊作が続いて余剰米が出始めており、食糧管理法の制度欠陥が指摘されていました。

 

政府米といわれる余剰米の保管料はかさみ、食管会計は1兆円もの赤字を出している時期です。困り果てた政府は、百福さんに食糧庁長官を通じて「コメの加工食品を考案してほしい」旨の相談を持ち掛けました。

 

百福さんは、「お国のためになるなら」の一念で引き受け、お湯をかけただけで「エビピラフ」や「ドライカレー」などができるカップ入りの商品を開発しました。

 

しかし、これは結果として失敗することになります。消費者のニーズをとらえたわけではなく、供給側が自らの都合でひねり出した、在庫処分のための窮余の一策だったからです。

 

この一件もあり、安藤宏基さんは「創業者のトップダウンが強すぎるのはよくない」と考え、消費者優先の姿勢を打ち出します。マーケティング部の創設を百福に承知させ、自ら部長に就任します。

 

就任直後、「焼きそばUFO」「どん兵衛きつね」を発売しヒットさせます。これは、その後40年以上売れ続けるロングセラー商品となります。

 

この実績をひっさげ、1985年(昭和60年)、75歳になった父に替わり安藤宏基さんが社長に就任します。(この間に、長男・宏寿さんの就任と退任があります)。

 

ときに37歳、バイタリティーあふれる青年社長の誕生です。就任してすぐに「打倒カップヌードル」という刺激的な社内スローガンを掲げます。

 

すでに世界のトップ・ブランドとなっていたカップヌードルを超えるようなヒット商品を開発しようという意気込みでの発言でした。

 

しかし、この社長就任あいさつで「カップヌードルをぶっつぶせ」とぶち上げてしまい、父との軋轢を生み、お互いが理解し合うまで長い年月を要したのは有名な話しです。

 

このいわく付きのスローガンを旗印に、一人の担当者が商品ブランドに全責任を負うブランド・マネージャー制度を導入するなど、大胆な社内改革に取り組んだのです。

 

2代目として就任した腹違いの兄・安藤宏寿さんが突然退任し、再登板した父から事業を受け継いだのが安藤宏基さんでした。

 

事業環境の変遷に応じて柔軟に対処できる体質に作り替えた手腕は、三代目は会社を潰すというジンクスを撥ね退けて余りある活躍なのではないでしょうか。

 

現在も日清食品ホールディングスの代表者としてその手腕を発揮している安藤宏基さんは、安藤百福さんが築いた日清食品をより発展させた人物なのです。

 



 

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