安藤百福の子供(長男)/安藤宏寿はどんな人物なの?

このページは、安藤百福の家系図の中でも際立つ人物の一人で長男の安藤宏寿(ひろとし)さんについて具体的にどんな人物であったのかみていきます。

 

安藤百福の長男として生まれた安藤宏寿さんは、「時代」という、自分では御しきれない大きな波に翻弄された人で、その人生は決して順風ではありませんでした。

 

台湾で生まれた彼の姓は「呉」で、父・百福も母・黄梅も台湾人です。当時の台湾は、日本の統治下にありましたが、慣習として妾制度が残っており、この制度が、宏寿の生涯に影を落とすことになります。

 

百福は商人として抜群の感覚と先見性を備えていたことは別項に譲るとして、この父が当時手掛けていた「メリヤス事業」の、仕入れルート開拓のため日本に渡ったころから、宏寿の運命の歯車が狂い始めます。

 

百福は、後に安藤仁子(まさこ)さんと結婚するのですが、この結婚で、本来正妻であるはずの母「黄梅」の地位が「妾」となってしまいます。

 

当時の制度の問題もあり、複雑なので詳細は省きますが、宏寿と母にとっては全く理不尽な話しであります。

 

宏寿が父と離れたころは、まだヨチヨチ歩きの頃でろくに父の顔も覚えていませんでした。後に日本の安藤家に引き取られたときも、鬱々として楽しまなかったと伝えられています。

 



 

日本の慈母のもとへ

太平洋戦争開戦後、日本へ引き取られた宏寿は、大阪の吹田市千里山に居を構えていた安藤家で、仁子親子らとともに暮らすことになります。

 

しかし、日を追って空襲が激しくなる中、家族そろって疎開することになりますが、宏寿だけは仁子とその子らとは違う場所へ疎開させられることになりました。

 

長男としての将来を慮り、知人に頼んでより安全な地へ向かわせたと言われています。仁子とその親子は、田舎とはいえおなじ関西の兵庫県上郡へ疎開します。

 

「長男をより安全な地へ」と言えば聞こえはいいものの、何か釈然としないものが残ります。とは言え、義母の仁子は、宏寿には人一倍気を使い、生涯にわたって「宏ちゃん、宏ちゃん」といって可愛がったそうです。

 

宏寿は、晩年になって「仁子さんには感謝している。自分に大変気を使ってくれたことに大変恩義を感じている」と語っています。

 

しかし、成人してからもしばらくは、知人の家に長く滞在したり、一人で中国に渡るなど、安藤家にはなかなか馴染めなかったようです。

 

日清食品2代目トップへ

1958年(昭和33年)に、百福が熱意を込めて開発を続けていた「チキンラーメン」が完成し、爆発的なヒットを記録します。これを機に商号を「サンシー殖産」から「日清食品」に変更し、長男の宏寿は専務に就任します。

 

これでようやく定職について落ち着いた宏寿は、中西妙子という女性と結婚し身を固めます。二人の間には、百福のはじめての孫となる芳徳と、二人目の孫・光信の男児が生まれます。

 

この二人の孫は、仁子によくなついたそうで、『祖母・仁子』も二人をたいそう可愛がったそうです。日清食品も順調に業績を伸ばし、昭和38年に東証第二部に上場して、企業としての知名度を上げていきます。

 

昭和46年に発売したカップヌードルは、あさま山荘事件を機にその商品名が一気に広がり、爆発的なヒットを記録します。これが起爆剤となり、翌昭和47年には遂に東証第一部に上場し、一流企業の仲間入りを果たしたのです。

 

百福は、自ら大企業に育て上げた会社が安定した頃合いを見計らい、更なる成長を期すべく、昭和58年に当時副社長だった宏寿を社長に就け、自らは会長に引きました。このあたりが宏寿にとって最も良い時期だったと言えます。

 




 

創業者との相克

社長に就任して2年後、経営方針等の相違から、宏寿は社長の座を追われ、安藤百福さんが社長に復帰します。原因は判然としませんが、巷間伝わるところによれば、宏寿はラーメン事業に熱心ではなかったといわれています。

 

生涯をかけて即席麺事業を育て上げた百福にとっては、宏寿の経営方針が容認できない状況であったと言われています。

 

当時の即席麺業界は、激烈な商品開発競争期に入っており、明星食品が仕掛けた「高級即席麺ブーム」に出遅れ、その後の対応も遅々として進まなかったため、百福自らが高級即席麺の開発に乗り出したようです。

 

このような展開は、百福を知る人達にとっては、むしろ想定内のことだったかもしれません。何故なら、百福は社長を宏寿に譲ってからも、「創業者には定年がない」と言って憚らず、毎日出社していました。

 

そして、宏寿さんの経営について注文をつけていたと言います。これは、後に次男の宏基さんに社長を譲った時にも親子大喧嘩のもとになっています。

 

それは、創業者の性というか生涯変わることのないアイデンティティとの闘いなのかもしれません。宏寿さんにすれば、それだけうるさく経営に注文をつけられると、しんどいですよね。

 

また、普段から自らの生い立ちに負い目を感じている(彼のせいではないのに)ことも手伝って、自暴自棄になっていたかもしれません。

 

彼の境遇は、決して「悲」の部分だけではなく、「喜」の部分もあったはずですが、それでも、彼の生い立ちが影を落としているように見えてなりません。

 



 

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