有元一雄は画家として成功したの?

NHKの朝の連続テレビ小説「まんぷく」の今井三姉妹次女、香田克子(松下奈緒)の夫・香田忠彦要潤)は画家という設定ですね。

 

そんな香田忠彦の実在モデル有元一雄さんについてこのページでは詳しく解説しています。実際に、安藤仁子さんの姉・澪子さんの夫の有元一雄さんは日本画家でした。

 

京都の醍醐の辺りに住み、絵画のモチーフに鳥をよく描いたので、庭に大きな鳥小屋を造って白鷺まで飼育していました。

 

「花鳥風月」と言う言葉があるくらいですから、日本の美術のモチーフには鳥が多く描かれていますよね。有名な日本画家の小林古径も上村松篁も庭に大きな鳥小屋があったそうです。

 

有元一雄は画家として絵を描き続けた

有元一雄さんは1905年生まれで1978年に亡くなっています。西山翠嶂という日本画家に師事していました。西山翠嶂は、青甲社と言う画塾を主催していて、その門下生には有名な上村松篁もいます。

 

有元一雄さんの作品は国会図書館所蔵の『産業戦士贈画展』に「猛り」という絵が掲載されていますが、現時点ではデジタルデータでは閲覧できません。

 

興味のあるあなたは、実際に国会図書館に出かけて閲覧を申し込んでみてください。ところで、「産業戦士」という言葉は、戦時中に使われた用語です。

 

朝ドラ「まんぷく」で、忠彦は召集されて戦地に赴きました。当時は多くの画家が召集されて戦地の様子を絵に描くように命じられました。と言っても、ありのままにではありません。

 

内地で留守を守る国民の戦意を鼓舞するような、いわゆる「戦争画」を描くことを求められました。「猛り」というタイトルからも、なんとなくそんな背景が想像できますね。

 

1958年に西山翠嶂が亡くなると、青甲社は解散して朴土社というグループになりました。その時の創立メンバーの中に有元一雄さんの名前があります。

 

そして、1978年に亡くなるまで会員だったようです。朴土社はグループ展を毎年のように開催しています。その出品作品の中に彼の作品名を確認する事が出来ました。

 

1959年から1966年まで、ほぼ毎年出品していて、《豹》《仔牛》《紅影》《鵜》《聚》《紅鶴》などの作品名が確認できました。

 

1979年のグループ展には遺作として、素描《婦人像》・《鷹》が遺族により出品されています。「まんぷく」の中の忠彦同様、実際の有元一雄さんも画家としては華々しい成功はしなかったようです。

 

特に、戦中戦後は大変苦労した様子です。しかし、朴土社のグループ展の記録を見ると、画家として生涯絵を描き続けていたのは確かです。

 



 

絵が売れなくて生活が大変だったのも実話

まんぷくの中で、「画商が描けと言うような商売用の絵は描かない」と忠彦が言っていますね。そもそも日本画は、襖絵とか、屏風とか、掛軸とか、立派なお屋敷に飾るものなんです。

 

そんなお屋敷に住んでいるお金持ちがオーナーになって、画商を通して絵を買う、というのが業界のルールでした。

 

ですから、画商の注文を聞かずに自分の好きな絵だけを描いていたら、絵は売れません。いくら芸術性が高くても、画商が間に入ってくれなければ絵は売れないものなのです。

 

日展など日本の画壇に名前が上がってこなかったところを見ると、有元一雄さんはアウトサイダーで、在野の芸術家だったのかもしれません。

 

しかも、戦中戦後はお金持ちも絵を買うどころではありませんでしたから、時代の巡り合わせも悪かったのかもしれませんね。

 

絵が売れないうえに、有元一雄と澪子夫婦は子沢山でしたので(ドラマでは4人ですが、実際は子どもは8人)生活に苦労したのも実話のようです。

 

何かと安藤仁子夫妻が生活を助け、仁子さんは自分の着物を質に入れてお米を買って援助しました。子どものうち、2人の女の子は安藤家に家事見習いに入り、安藤家で嫁入り支度をしてもらって嫁いでいます。

 

有元一雄さんが朴土社のグループ展に出品し始めた頃、チキンラーメンも売れ始め、日清食品の会社も軌道に乗り、有元一雄さんは日清食品の監査に就任しています。

 




 

絵のモデルになったのが出会いは実話

安藤家が阿倍野区中道に住んでいた頃、長女の晃江さんは才能を見込まれて絵を習っていました。実際、晃江さんが描いた、幼い仁子がブランコに乗っている絵の掛軸が残っています。

 

『チキンラーメンの女房 実録安藤仁子』にその写真も掲載されています。そんな晃江の絵の仲間に有元一雄さんがいました。

 

ある時、晃江さんは有元一雄さんが手指の綺麗なモデルを探しているという話を聞きました。観音様の手を描くための「手のモデル」です。

 

その際に、晃江さんは妹の澪子を紹介しました。澪子さんは何をやらせても丁寧に仕上げる器用な人だったとのことですから、きっと手指も美しかったのでしょう。

 

父の重信は「裸でなくて、手だけならよかろう」と許可したそうです。それが馴れ初めで、澪子は女学校卒業後すぐに有元一雄さんと結婚しました。

 

重信は商売人なのに、なぜお金の儲からない画家と澪子さんの結婚を許したのでしょうか?その当時は安藤家も家業が行き詰まる寸前だったようで、決して先を楽観できる状況ではなかったのです。

 

晃江に絵を習わせていたことも考えると、重信は商売の世界の人でありながら、どこか現実離れしたロマンチストだったのかもしれません。

 

「まんぷく」に登場する人たちは、時代に大きく翻弄され続けていきますが、お金を稼ぐこととは正反対の生き方を貫く芸術家が、一族に違和感なく存在するのも不思議ですよね。

 

有元一雄さんがモデルになっている朝ドラ「まんぷく」の香田忠彦一家も個性的な脇役として、これからも注目していきたいと思います。

 



 

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